高校生のための金曜特別講座

金曜特別講座TOPへ 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部

2004年夏学期

2004.4.16

大学で心理学を学ぶ:心理学との出会い、心理学の面白さ

講師:丹野義彦(心理学)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系

心理学や教育学は、高校のカリキュラムには含まれていないせいもあり、大学のカリキュラムの中でも人気の高い科目のひとつとなっています。また、「臨床心理士」や「スクールカウンセラー」といった職種も知られるようになり、心理学は社会的にも大きな貢献をすることができるようになりました。今回は公開講座の第1回ということもあり、私自身の心理学との出会いなどを素材として、大学で心理学を学ぶことの面白さや意義などについて述べてみたいと思います。人生の発達段階の中で、青年期は「自分とは何か、自分を知りたい」といった欲求が高まる時期です。そうした迷いのなかで、悩みが高じたり、いろいろな心理的な不適応もあらわれやすい時期であると言われています。そうした悩みや不適応に対して、心理学はそれなりのお手伝いができると思います。また、大学の中では、心理学は、文科系と理科系の両方の要素を必要とする分野ですので、文科系か理科系か迷っている人にはお勧めのコースと言えます。

16歳からの東大冒険講座・3
2004.4.23

時計と時間の歴史

講師:橋本毅彦(科学史)

相関基礎科学系(先端研)

時間を計る時計にはいろいろ種類がありますが、機械時計は13世紀末にヨーロッパで発明されました。時計の出現によってヨーロッパの社会は大きな変容を遂げていくことになります。また社会の変容に伴って、時計はその精度を増していきました。そしてこの機械時計は16世紀に日本にもたらされましたが、江戸時代の日本では西洋とはずいぶん違う時の数え方をもち続け、そのために和時計と呼ばれる独特の機械時計を工夫したりしていました。その後明治時代に入り、西洋流の時間の計り方が導入され、西洋流の生活の仕方が日本の社会に徐々に浸透していくことになります。この講義では、西洋と日本における機械時計の発達の歴史と社会が近代化され、加速化されていく経緯とを追っていくことで、我々がもつ時間に対する態度や考え方の由来を探ります。

16歳からの東大冒険講座・2
2004.4.30

進化とはなんだろうか?

講師:嶋田正和(生物学)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系

生物は時間とともに変化する性質を持つ。それは、以下のように4つのプロセスがある。一般市民は、けっこう多くの人たちが、それらをすべて「進化」と呼んでいるようだ。

(例1) ピチュウ→ピカチュウ→ライチュウと、進化するポケモン

(例2) 前のテストで零点だったので、奮起して今度は100点を取った。進化したボクを見てくれ!

(例3) オリックスの2軍時代から、いまや大リーグのスターへと、イチローは大きく進化を遂げた。

(例4) 小型の恐竜から、羽毛をもって滑空するものが現れ、やがて鳥に進化した。

進化は、このうち最後の例4だけである。例1は「変態」、例2は「学習」、例3は「成長」、といい、これらも生物特有の重要な変化プロセスではあるが、例4の「進化」とは決定的に違う面がある。それは、最初の3つは1個体の中で起こる変化であるのに対して、4番目は世代を経て、しかも集団レベルで起こる変化である、という点である。

このように、生物の進化とは、世代を経て集団の性質の変化として現れるものを指す。世代を経て変化が蓄積されるには、毎世代ごとの変化が次世代に伝わるしくみがないといけない。それが遺伝である。そして、個体間の遺伝的な違いと、それがもたらす繁殖力や生存率の差があれば、それ以外のどんな条件がなくても、適応と呼ばれる進化が自律的に進むのである。これが、ダーウィンの「自然選択による進化理論」の本質である。「〜のために進化した」などいう目的論は、いっさい必要ない。

この講義では、実に簡単なロジックで表されるこの自然選択が、いかに大きな適応進化をもたらしてきたか、そして、それに対抗する形で1968年に独立に提唱された中立説が、どんなに広範なDNA配列の進化パターンを説明したか、現代進化生物学の2つの柱である自然選択論と中立説を平易に解説したい。

16歳からの東大冒険講座・1
2004.5.7

記号の知

講師:石田英敬(フランス語)

東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻

私たちの日常世界がどのように「記号」や「イメージ」の働きから成り立っているのかを研究する「記号論」という学問が何を考えようとするものなのかを紹介しましょう。今回は、「イメージ」と「想像力」の問題を糸口に、21世紀の始まりを生きる私たちの世界に突きつけられた「困難な問題」について考えてみましょう。ジョン・レノンの「イマジン」が意味するのはどのような「想像力」の問題なのか、なぜ「想像すること」がいま私たちの世界の「未来」を開く活動でありうるのか。「想像力」が「産業」となった今日の世界において、どうしたら私たちは「いきいきとした想像力」を持つことができるようになるのか。こうしたアクチュアルな問題について、「未来の人」、「新しい人」である皆さんとともに考えてみたいのです。「Imagine all the people living life in peace」が講義の最初の言葉、「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT」が締めくくりの言葉です。

16歳からの東大冒険講座・1
2004.5.14

日本人論の行方

講師:船曳建夫(文化人類学)

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻

「日本人論」とは、近代の中に生きる日本人のアイデンティティの不安を、日本人とは何かを説明することで取り除こうとする性格を持つ。不安を持つのは、日本が近代のなかで、特殊な歴史的存在であること、すなわち、「近代」を生み出した西洋の地域的歴史に属さない社会であった、ということに由来する。その、日本がいわゆる「西洋」近代に対して外部のものであることは歴史的な規定であり、時間をさかのぼっては変えることは出来ないから、不安は、繰り返しやって来る。よって、「不安」が高まるときには、その不安の個別性に添って説明する「日本人論」が書かれる。しかし、このアイデンティティの不安は根元的で、決して解消されないものだから、常に新たな「不安」が生まれ、そのつど新たな「日本人論」がベストセラーとなる。なお、この「不安」とは、決して、「日本」が危機となったときにだけ増大するのではなく、国運が好調の時もまた、その「成功」に確信が持てないため「不安」が生まれる。よって、国力が低まったときも高まったときも、不安とそれに対する日本人論が現れることになる。

以上のことを明治以降の日本人論を例に取り、講義する。

2004.5.21

イタリア! イタリア!

講師:村松真理子(古典語・地中海諸言語)

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻

みなさんは「イタリア」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか。古代ローマの中心。フィレンツェをはじめとする、ルネサンス発祥の地。いいえ、むしろ、「セリエA」のサッカーや、ミラノのファッションかもしれませんね。それとも、ピッツァやパスタがおいしくて、燦々と陽光のふりそそぐ、青い海が広がる世界でしょうか。イタリアは、古代ローマ以来の豊かな「歴史」と「遺跡」の国ながら、世界の「先進国」の一つという現代の顔をも有する、ユニークな国です。ヨーロッパ史の重要な舞台、地中海に面し、その地理的な位置と自然の恵みを生かしながら、「グローバル化」の現在にいたるまで、地方性豊かな文化を育んできました。一方では、ルネサンス文化の大輪の花を各都市で咲かせながらも、その後の近代ヨーロッパ諸国の「レース」には好スタートを生かせす、それぞれの地方の社会的矛盾を、今も「共和国」の中に抱え込んでいる、とも言えます。それが、「イタリア」という名の喚起する、さまざまなイメージやステレオタイプを生み出したのでしょう。

そんなイタリアのイメージから出発して、現代イタリア文化の多様な魅力と不思議のオリジンをさぐりながら、「国(家)」「言語」「文学」「文化」など、私たちが当たり前のこととして使っていることばの意味についても、いっしょに考えてみたい、と思います。

16歳からの東大冒険講座・3
2004.5.28

国境紛争から地域協力への道−中ロ関係の50年

講師:石井 明(国際関係)

東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター

国際紛争の中で領土問題、国境問題の占める割合は大きい。現在、世界で一番長い国境線を抱えているのは中ロ両国であり、国境紛争が絶えなかった。1969年3月、中ロ国境を流れるウスリー江の小さな川中島で、中国と旧ソ連の軍隊が衝突し、双方2桁の死者を出した。同じ社会主義の国同士がなぜ戦わなければならなかったのか。その後、両国は大軍を国境地帯に張りつけ、にらみあった。それからすでに45年たち、旧ソ連を継承したロシアは中国との間では、国境画定協定が結ばれており、いまや中ロ国境は平静である。中ロ両国は旧ソ連から独立した中央アジア諸国を加えて上海協力機構という地域協力機構を作り、共通の敵、国際テロと戦うための協力体制を強化している。こうした中ロ両国がたどった道は領土紛争があっても、それを解決し、友好関係を築くことが可能であることを教えている。中ロ両国がどのようなプロセスを経て、「友好と協力の国境」に変えていったのか、検討を加える。

16歳からの東大冒険講座・2
2004.6.4

21世紀の物理学−超弦理論とはどんなものか?

講師:米谷民明(物理学)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系

物理学の究極理論とはどんなものであろうか。21世紀の物理学に課せられた大きな課題の一つは、20世紀の物理学によって打ち立てられた「一般相対性理論」と「量子論」という物理学の二つの大きな枠組みを統一して、私たちの住む宇宙についてより整合的で根源的な理論を構築することです。というのは、これら二つの理論は、それら自身としては実に精緻にできていてすばらしい理論なのですが、双方を合体しようとすると現在の物理学では解決できない困難に行き当たってしまい現実の宇宙の根源を正しく理解したり説明したりできそうにもないのです。その解決へ向けてほとんど唯一の手掛かりと考えられるのが、いわゆる「超弦理論」です。この理論はまだ未完成ですが、これまでの物理学の枠組みを統一するのにふさわしい数々の特徴を備えています。本講座では、この超弦理論に至る物理学者の苦闘の歴史、超弦理論が何を目指すのか、さらには私自身がこうした研究に関わることになったきっかけ、などについてできるだけやさしくお話することにしましょう。

16歳からの東大冒険講座・3
2004.6.11

人間生命科学入門:からだは細胞のすみか―そしてあるじはわたし

講師:跡見順子(スポーツ・身体運動)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系

20世紀、ワトソン・クリックの二重らせん構造の発見、生命の最小単位:細胞から考える細胞生物学あるいは細胞の分子生物学の発展はめざましいものがある。再生医学や遺伝子工学で、さまざまな病気の治療方法が提案されるかもしれない。しかしプリオンや新しいウイルスによる生命への脅威、いつ果てるともない戦争に人間の未来は必ずしも楽観的なものではないと感じている人は多い。どうしたらウイルス達と、あるいは異なる国民とうまく平和に暮らしてゆけるのだろうか。生命科学でもっとも重要なのは、私たち自らが'代謝を営み、自己複製する細胞からなり、細胞とその機能的な集団である組織、そして有機的な組織のあつまりである「からだ」の機能と構造を次世代に伝えてゆく自律的な存在'であることを知ること、そしてさらにこのような存在である自分をどのように自分の中に位置づけるかを自分で考えることではないだろうか。では動く生き物である自分を対象化すればいいだろうか。どうも生き物の歴史を視ていると。よいシステムは残ってきている。私たちのからだは、6兆個の細胞からなる。細胞の中には遺伝情報をもつDNAと同じぐらい大事なミトコンドリアと細胞骨格というシステムがある。細胞の命綱はミトコンドリアが握っているといっても過言ではない。また細胞骨格は第二の遺伝子であるともいう。もともと異なる生命体が共生したと考えられる私たちの祖先。細胞の中でも協調関係を築き、互いが互いを必要とする環境をつくることだ。そのためにはどうしたらいいのか。それを決めるのは「わたし」である。細胞達が元気に生きてゆくような細胞達の環境としてのからだの状態を造ってあげること。そのためにはどう考え、何をしたらよいのかを考えてみよう。

16歳からの東大冒険講座・1
2004.6.18

認知と進化の複雑系理論

講師:池上高志(物理学)

東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻広域システム科学系

人の心も畢竟、自然現象である。宮沢賢治のいうところの青い有機交流電灯の瞬きである。(春と修羅の序文)これを、コンピュータシミュレーションによる実験を通して、理解する新しい視点を紹介する。人間の心は、化学反応と電気シグナルの上に構成されたパターンである。しかしそれを記述する言葉を今の物理学は持たない。たりない言葉を探して、今回は、自分の能動的な運動による認知の仕方(Active Perception)ということを議論したい。例えば、他人にくすぐられるとくすぐったいけれど、自分でくすぐってもくすぐったくない、これは何故か。そういうことをいろいろと考えてみたい。

参考文献: 池上高志 「言語・認知・複雑系」
人工知能学会誌 Vol.19 (2004) pp.267

16歳からの東大冒険講座・3
2004.6.25

21世紀に読み直す宮澤賢治

講師:小森陽一(国文・漢文学)

東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻

この講義では、宮澤賢治が生前一冊だけ出版した童話集『注文の多い料理店』に収録されている、「狼森と笊森、盗森」をとりあげます。この童話は、新しい入植地に入ってきた百姓たちの、三年間の生活を描いています。けれども、そこには農業を営みはじめてからの人間の歴史が凝縮して刻みこまれています。

 宮澤賢治は、詩人、童話作歌、仏教者、自然科学者(天文学、地質学、生物学、化学)考古学者、嚢行実践家といった、いくつもの顔を持っています。一つの言葉を、どの枠組で読み解くかによって、短い童話であっても多種多用な物語を生み出します。童話は必ずしも子どものためだけではありません。大人になりつつある高校生のみなさんと、少し変わった読み方を体験したいと思います。

16歳からの東大冒険講座・3
2004.7.2

写真と異文化理解−21世紀の対話のために

講師:今橋映子(フランス語)

東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻

昨年から続いているイラク紛争や、イスラエル/パレスチナ間のテロの応酬の中、多くのカメラマンたちが現地入りし、世界中に映像が配信されています。皆さんもテレビや新聞、インターネットなどで必ずや、それらの写真をご覧になったことでしょう。ところで、「そうした戦争の現場を写した映像は、あなたの人生を何らかに変えましたか?」と、今問われたら、あなたはどの様に答えますか?おそらく多くの方の本音は「いいえ、何も」という答えでしょう。

実は昨年アメリカで、写真は他者の苦しみを結局は救えないのではないか――という重い、でも大切な問いを投げかけた書物(スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』みすず書房)が刊行され、日本でも話題になりました。

「写真」というメディアは、今や私たちにあまりにも身近であるため、例えば「写真は本当に現実をそのまま写し出しているのか」といった問題を、私たちはふだん立ち止まって考えていません。けれども遠い場所の異文化を理解しようとする時、あるいは戦争やテロなど今や世界同時性の難問を考えようとする時、写真は重要な媒体であり続けているのです。逆に、例えば〈日本〉がいまだに「フジヤマ・ゲイシャ」の映像だけで伝えられたらどうでしょうか。

本講座は、身近なようでいてじっくり見ることの少ない「写真」を正面から取り上げ、アートと報道の狭間にあって忘れられないほど衝撃的な作品の数々も紹介しながら、「写真と異文化理解」の将来を再考します。それはまた、大学の最先端の現場で、比較文化論や映像文化論という学問が何を目指しているのか、その一端の紹介になればと思っています。

16歳からの東大冒険講座・1
講師:三谷 博(歴史学)

東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻

日本史の中には大きな謎が沢山詰っている。それを解こうとすると、新しい言葉を創らざるをえない。その新しい、普遍的な言葉は、日本以外の歴史や社会を理解するためにも、大いに役立つのではないだろうか。これが今回の話題です。

日本史を学んでいると、沢山、不思議なことに出会います。例えば、なぜ、ただ一つの王朝が続いてきたのか。初期についてこれを疑う説もありますが、しっかりした記録のある時から数えても、少なくとも1300年、王朝の交代がなかったことは、明らかです。また、江戸時代は、徳川を中心とする武家が支配した時代でしたが、徳川は天皇と公家を滅ぼそうとせず、形の上では臣下として振舞いました。政治の中心が二つもあり、それが200年以上も平和共存したのです。この二点は、恐らくは世界の歴史をいくら探しても類例は見つからないことと思われます。

日本の歴史は世界に比類のない、特殊なものだったと言うのは簡単です。そうすると考えないで済む。でも、皆さんは「どうしてそうなったのか」と問いたくはありませんか。それを考えないと「腹ふくるる」思いがしませんか。ごまかされたと感じませんか。

実は、これは、いままで何人もの日本史研究者が取上げ、誰も解決できなかった難問です。少なくとも私は、皆、失敗してきたように思います。無論、私にも答がありません。でも、この難問に挑戦して、答の糸口を見つけることができたら、それはすばらしい知的達成となるだろうという予感はあります。

今回は、この難問に匹敵するほどの別の謎を取上げたいと思います。私がこの20年あまり考えてきた、明治維新にまつわる謎です。

維新については、皆さんは、歴史の本だけでなく、TVドラマや漫画でも、親しんできたことと思います。オタクほどの知識はなくても、よく知っていると思っているのではないでしょうか。しかし、どうでしょう。維新の結果、それまでの支配身分だった武士はいなくなりましたが、どうしてか、説明できるでしょうか。武士以外の商人や農民が武士の支配をくつがえしたのなら、西洋の革命に似て、まだ分りやすいかも知れませんが、そのような事実はありませんでした。武士の中から武士の支配を解体する人々が出てきたのです。いわば「身分的自殺」です。しかし、人は簡単に「自殺」するでしょうか。惨めな境遇におちいれればともかく、生活を保障され、社会的に尊敬されている人が、自殺するなどとは、まず考えられません。ごく少数が狂気にとらわれることはありえます。しかし、維新では、武士のほとんどが、世襲的な身分の解体を、ごく僅かを例外として、淡々と受入れたのです。こんな変なことがあって良いのでしょうか。

維新では、亡くなった人の数がとても少ない。ロシア革命や中国革命は、その過程で1000万を超える死者を出したと言われていますが、それより少なかったフランスの大革命でも、100万人を超えたと推定されています。ところが、維新の日本は、フランスの約1.2倍の人口を持っていたにもかかわらず、死者は約3万人に過ぎませんでした。驚くほど犠牲者が少なかったのです。内乱やテロリズムや対外戦争が、比較するととても小規模だったわけですが、にもかかわらず、支配身分の消滅という、普段ではとても起きそうもないことが起きてしまったのです。

どうして? 実は、今までの歴史家は、こうした問いがあり得るということすら、気づいてきませんでした。昔の歴史家は、天皇中心の国に変える運動に注目し、その節目として王政復古や廃藩置県を説明しましたし、20世紀後半の歴史家たちは、地租改正のような経済制度にもっぱら関心を注ぎました。いわゆる秩禄処分で完成した武士身分の解体は、みな事実としては知っていながら、それが世界史的に見て奇跡的な出来事だったという点には、気づかなかったのです。

私は、この問題を少なくとも20年は考えてきましたが、いまなお良い答が見つかったと思えません。江戸時代の国家制度や西洋との再会の仕方といった、時代固有の条件も大事ですが、しかし、実際の過程では、ナショナリズムの働きや革命一般のもつ性質も、大きな役割を果したように見えます。そうした面がどのように関連づけられるのか、今回は、この難問について最新のアイデアを話そうと思います。恐らくは、私の前に講義される池上先生が取上げられるはずの、複雑系、または「変化の一般理論」も、参照することになるでしょう。

 よく分っているつもりの、一番身近な日本社会が、実はとんでもない謎を一杯抱えていること。そして、その難問を解くことは、実は世界全体に対して、新しい社会観を提示する道に直結しているということ。その実例を提供したいと思います。

16歳からの東大冒険講座・2
2004.7.16

21世紀の日本社会を考える

講師:山脇直司(社会・社会思想史)

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻

皆さんが生まれ育ったこの15,6年の間に、国際情勢は大きく揺れ動きました。冷戦が終焉してソビエトが消滅し、平和が訪れると思ったら、湾岸戦争や旧ユーゴでの内戦が勃発し、コソボ空爆を経て、アメリカでの同時多発テロ事件、アフガン空爆、イラク戦争など、現在に至るまで、平和から程遠い日々が続いています。他方、政府とは違うNGOが国際社会の表舞台に出てきて、環境問題や平和問題と真剣に取り組むようになりました。その間に日本では、神戸震災で尊い多くの人々が失われましたが、その復興を支援するボランティア活動が注目され、NPOという組織が法律で公認され、福祉・まちづくり・平和などの問題と取り組んでいます。

このような状況の中、21世紀の日本は、世界の中でどのような役割を演じるべきでしょうか。また、日本に住む人々は、どのような意識を持つべきでしょうか。講義では、この大きな問題を、政治・経済・文化などの領域にわたって、広く考えて見たいと思います。

16歳からの東大冒険講座・2
2004.7.23

微積分の力

講師:薩摩順吉(数学)

東京大学大学院数理科学研究科

数学は科学を語る言葉といわれる。とくに、高校2年生から習う微分積分は自然現象だけでなく、社会現象・生命現象を取り扱うのに必須の道具である。まず現象のモデルとなる微分方程式がどのようなものであるのかを紹介した後、微分積分を用いて何が言えるかをできるだけわかりやすく説明する。また、そうした取り扱いにおいて、コンピュータが果たす役割についても触れる予定である。

16歳からの東大冒険講座・3

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