竹峰義和先生
Q. ホロコーストはヒトラーの一存で行われたのでしょうか?
A. ホロコーストと総称されるナチス・ドイツによるユダヤ人の大量殺戮は、1942年1月20日にベルリン郊外のヴァンゼーで、政府高官15名が出席した会議(いわゆる「ヴァンゼー会議」)で決定されました(ちなみに、ヒトラー本人は出席していません)。会議の議事録のなかでは「ユダヤ人問題の最終解決」というごく間接的な表現しかもちいられていませんが、そこでは、これまでのユダヤ人にたいする隔離・強制収容政策から転換し、ヨーロッパに住むユダヤ人のうち、労働力として利用価値のない者を絶滅収容所で組織的に殺害することが決められたのです。その背景には、軍事侵攻によってドイツの支配地域が急激に拡大し、それにともないドイツ領内のユダヤ人の数も激増するなかで、強制収容所がパンクしたという事情がありました。
もちろん、この「最終解決」の決定が下されるにあたって、総統であるヒトラーの意向が強く働いていたことは確かですが、政治家だけでなく、官僚、警察、司法のトップによって共同で取り決められたものであることは重要です。つまり、ホロコーストという未曽有の国家犯罪は、ヒトラーという狂った権力者による一方的な指令によって引き起こされたというよりも、むしろ、党政府と官僚たちが協議を重ねたうえでの帰結だったのです。このことは、ホロコーストの責任問題や、さらには官僚機構の本質について考えるうえでも、きわめて重要な意味を含んでいると思います。