東京大学大学院総合文化研究科 超域文化科学専攻
【講義概要】
マルセル・デュシャンというフランス生まれの芸術家(後にアメリカ国籍取得)が、既製品の便器を選んで、それにさらりとサインをし、これは「アートですよ」と展覧会に出品してから、もうすぐ100年が経とうとしています(この作品は結局、展示されなかったのですが)。そのあいだにも、「ええっ、これがアートなの?」、「これが5億円もするの?」、「こんなアートなんてけしからん!」と人を驚かせる作品が次々と発表されてきましたし、今でも、一見すると「アート=何でもあり」的な作品がいたるところで作られています。展覧会に行くと、何もない空っぽの部屋を見せられたり、カレーを食べさせられたり、会場にある花を一本とって家に帰る途中で誰かに渡してくださいと指示されたり… 。でも、本当に現代アートって「何でもあり」なのでしょうか? あるいは反対に、現代アートってコムズカシくてよく分からないものなのでしょうか? そうだとしたら、何故なのでしょうか? そうした問いに目を向けながら、「現代アート」を通して「現代」という時代について少し考えてみたいと思います。
【キーワード】
アート、社会、美術館、キュレーション、芸術祭、マーケット
【参考図書】
西村 清和 著 『現代アートの哲学』 産業図書 1995年(第1章−第3章)
フィルムアート社編 『現代アートの本当の見方』 2014年