東シナ海を渡る――遣唐使の航海――

  1. 日時:2011年9月16日 17時30分から
  2. 場所:18号館ホール

東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 広域システム科学系

<講義概要>

 大和朝廷は、舒明2年(630)から承和5年(838)までのおよそ2世紀の間に15次に及ぶ使節を朝貢のため唐に派遣した。これがいわゆる遣唐使である。新羅との関係が悪化する8世紀以降、使節船は、九州から壱岐・対馬をへて、朝鮮半島の西岸を北上し、黄海を横切って山東半島にいたる北路から東シナ海を横断する南路に航路を変えた。南路では使節船の難破が目立ち、往航・帰航ともに無事であったのは8回のうちわずか1回にすぎない。通説によれば、原因は季節風(モンスーン)の知識の欠如にあり、季節風の逆をついて出帆したり、絶好の時期を順風が吹かないといって待機した例も見られるという。しかし、使節が中国と日本の位置関係を知らず、風の順逆を判別できなかったとはとうてい信じがたい。そこで本講義では南路の航海と季節風の関係を再検討してみたい。

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