東京大学 直島哲学キャンプ ――海と空の間で人間の場所について考える――

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16歳のきみたちへ

16歳のきみたち、きっと大学に進学しようと考えているきみたち、「大学」ってどういう場所だと思う? 物理学、農学、医学、法律、経済学、文学といった専門の知識を学ぶところ?もちろんそうでもあるけれど、それらをすべて貫いて、もっとも大事なことは、世界のなかで人間が世界について、人間について、そのほかもろもろのことについて、純粋に、ということは、なにかの利益のためにではなくて「考える」――そういう場所であるし、あるべきなんだ。そうしたあらゆる学問の原点であるような「純粋に考える」という体験を、この夏、瀬戸内海のとびきりの風光のもとで、わたしたちといっしょに味わってみないか? これは、東京大学がおそらくはじめて行う実験――それを通して、わたしたちも日々忘れてしまいかかっている「考える」ということの野生の力をもう一度、思い出してみたい。その共同実験に参加してくれないだろうか?

だからはじめにはっきりと言っておかなくてはならないけど、このキャンプではたいしたことは教わらないし、これに参加したからといって大学受験にはなんの役にも立たない。受験というような「利益」を、少しのあいだだけまったく忘れて、自然の光の下で、そして美しいアートと、いや、美しいだけではない人間にとっての厳しい現実を前にして、全身で「考えてみよう」と意志する人に来て欲しい。16歳のいま、なにか自分が世界について考え始めているのに日々、なかなかそれを考え続けることができないと感じているきみに来て欲しい。

もちろん、わたしたち東京大学教養学部の教員が少し講義風の語りかけを行うこともあるかもしれない。けれども、だいたいは、きみたちがなにか考えはじめるのを、固唾を呑んで見まもるためにだけ存在するのだ。きみたちは、自分が考えるためになら、沈黙のなかに閉じこもってもいい、あるいは逆に、わたしたちの誰かをつかまえて自分の思考をためしてみてもいい。いや、そこにやってくるきみとほぼ同じ時間を生きてきた見知らぬ友人と徹底して対話をし続けてもいい。でも、間違わないで欲しいが、このキャンプは、きみの「悩み」のためのものではない。「悩み」などという言葉ではうまく表現できない、世界のなかに人間がこうして歴史を背負って生きているという気味の悪さや、不思議さについて、ひとりひとりが固有の思考を、しかし「ともに存在する」場のなかで試行する、そんな経験のための3泊4日なのだ。

たぶんそういうことをきみたちは実感するだろうと思うけど、考えるということは、ひどく孤独なことであると同時に、いつも「誰か」と「ともにいる」ことでもあるのだ。それを友愛と呼ぼう。思考の実践において、孤独と友愛とが一致する、そんな経験を目指して、この場は開かれようとしている。自分を、自分の言葉を、自分の思考を冒険したいと熱望する16歳のきみ、わたしたちといっしょに思考の波打ち際を散歩しようではないか。

(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻 教授 小林康夫)

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