「万葉集」はこれまでどう読まれてきたか、 これからどう読まれていくだろうか

  1. 日時:2015年11月6日 17時30分から
  2. 場所:18号館ホール(詳細はこちら

東京大学大学院総合文化研究科 言語情報科学専攻

【講義概要】

 私が『AERA Mook 「万葉集」がわかる。』にこう書いたのは、1998年のことである。《『万葉集』は、実は今から百年前に作られた。「そんな馬鹿な」と思われるかもしれない。もちろん書物としての『万葉集』は、奈良時代の末ごろに出来上がっていた。けれども、現在の私たちが『万葉集』だと思っているもの、つまり、日本人の共有財産としての『万葉集』像は、明治の中頃から構築され、ほぼ四半世紀後に完成したものなのだ。考えてもみて欲しい。江戸時代までの農民のうち、どれだけの者が、世の中に『万葉集』という書物があることを承知していたか。古代貴族の編んだ歌集が「日本人の心のふるさと」に見えるのは、私たちが、近代に発明された色眼鏡に愛着を感じ、それを外そうとしないからなのである。》
 『万葉集』の研究を逼塞させてもやむをえないとの、悲壮な決意とともに提出した私の見解は、17年を経た現在、学界ではすっかり常識となっている。そしてそこから再出発して、研究は新たな展開を示しつつある。昨年は、UCLA所属の研究者が、古代東アジアにおける帝国的世界像の広がりという視座から『万葉集』の中核的部分を捉えてみせた。国民歌集という足枷がはずれたために、かつては誰にも展望できなかった地平が現実のものになってきたのだ。

【キーワード】

「万葉集」、伝統の発明、国民、帝国、東アジア


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